こんにちは。
教室長の飛田です。
本日はマナビバキッズの開校の想いを改めて文字にしてみました。
お時間ある方は是非読んでください。
子どもたちにとって大切なことは、
自主自立、問題発見力、意欲的・能動的に動けること、コミュニケーション力を持つこと。
その為に、子どもの教育に携わりたい。
それは中学生になってからでは、少しだけ遅い。(と感じた)
と言うよりはもっと早くから携わりたいと思った。
だから小学生のうちから関わりたい。
その為には、いろいろな関わり方ができると思う。
それは、学校教育を通してもしかり、学習塾、スポーツ、習い事、
他にも食事を通してや、ご家庭内での接し方について考えることも1つのやり方だと思う。
持論として、先に言うと、
子どもにとっての一番の学びは遊びである。
机に座っての学習、
スポーツ、
習い事、
お手伝いなどなど、
もちろん全て学びではあるが、
遊びに勝る学びはない。
遊びの何より素晴らしいことは、
間違いなく、自分の意思を持って遊んでいる。
勉強であれば、
お父さんお母さんや先生に教わり、まずは言われたことをやってみるはずである。
また、スポーツあれば、
子どもの意思で始めることもあると思うが、
100パーセント子どもの意思だけで始めることは、現実的には不可能だと思う。
一方で遊びは、紛れもなく子どもたちの意思で始まる。
遊びの仕方を強制されたり、遊びなさいと言われるまでもなく、
気が付けば勝手に遊んでいる。
でもそれで良い。
仮に、公園や場所によっては、
それぞれでルールがある場合がある。
それはそれで、
遊ぶために、頭を働かせるとっておきのシチュエーションである。
ボールを蹴ってはいけないなら、投げてみる。
走ってはダメなら、早歩きでやってみる。
うるさくしてはいけないなら、静かにやってみる。
そうやってあれやこれやと自分たちでオリジナルの遊びやルールを作り、
いくらでも自由に楽しく遊ぶことができる。
なんなら、場合によってはルールを破ってもいいかもしれない。
言い方に語弊があるかもしれないが、
そのルールがなんのためにあるのか、
本当に必要なものなのか、考え、話し合い、
変える必要があるなら、そのルールを決めた人に直談判してもいい。
そうやってコミュニケーション、世の中のルールを学んでいく。
僕自身、今までたくさんのいたずらをしてきた。
ピンポンダッシュを始め、(どうやったらバレないか)
虫眼鏡でアリンコに火をつけようとしたり、(なぜ火が着くのか)
マンションの5階から洗面器いっぱいの水をひっくり返したり、(雨ってどうなってるの)
駐車場のスポットライトの向きを変えて人の家に当ててみたり、(電球が熱くなることを知った→結果、火傷)
公園の砂場に大量のダンゴムシを放したり、(ダンゴムシをみんなが喜ぶとも思った)
ここに書いたらきりがないが本当にたくさんのことをしてきた。
それは思いついたらすぐに実行していたからだ。
もちろんいたずらなので、
何一つ褒められたものではないが、
今振り返ってみると、
とにかく自分が何かをした、という痕跡を残したかったのだと思う。
その為に考えては実行、思いついては実行、
そして毎回怒られることになるのだが、
毎日が試行錯誤の連続だった。
年を重ねるごとに思いつくことの範囲や内容は大きくなっていったが、
次第に怒られることのダメージも大きくなっていたので、
自分の中で天秤にかけた結果、いたずらの数は減っていた。
今でも昔のいたずらの話をし始めると、
気が付くと1,2時間経っている。
話がそれたが、
遊びについては、本当に創意工夫の連続だったと思う。
今でも覚えているが、外での遊びの定番は缶蹴りだった。
かくれんぼ、鬼ごっこその他いろいろな要素が詰まった究極の遊びだったと思う。
見つからないためにはどうするか、どこに隠れるか、
囮を使ったり、時には服を交換してみたり、
ありとあらゆることを考え、動き、五感を研ぎ澄ませた。
また、雨で外で遊べない時は、
自宅のリビングでソファーをひっくり返して、
基地を作っていた。
始めは怒られたけど、そのうち母親も何も言わなくなり、
雨の日の定番の遊び方になっていた。
先日蟹ヶ谷の里山でタケノコ堀と竹細工をして遊んできた。
やっぱり身体を動かしながら遊ぶと心がワクワクする。
少しずつ、昔に戻していく。
習い事や塾、お稽古も大事だけど、
遊ぶことを通して、たくさんのことを身に着け、
考え、友達とたくさん話し合い、
時にはぶつかり、仲良くなりながら、
大切な今しかない時間を過ごしていきませんか?
そんな思いに共感してくださる方々と、
一緒に子どもたちを支えていきたいです。
そしてその中で学習や習い事を遊びのような感覚で身に着けていってほしいです。
その為のプログラムを用意しましたので、お待ちしております。
マナビバキッズ
飛田